思い出の房総夏ダイヤ(いすみ鉄道 社長ブログ記事より)

両国発着のSLは1969年7月の房総西線千倉電化でなくなったのでその記憶はない。
あるとすれば、房総夏ダイヤだがそれも特急や急行に縁のなかった身としては印象は薄いものだ。
(自分の最寄り駅は電化複線区間の特急・急行非停車駅にあった)

非電化時代、そしてその後の房総電化前後の1970年代までは臨時列車を走らせても海水浴シーズン時には裁ききれなかったほど需要が旺盛だったらしい(並行する国道のインフラも貧弱だったこともあるが)。
それが衰退したのは皮肉にも1981年のSM分離こと東海道線横須賀線分離&総武快速線&中央・総武緩行線の千葉までの分離複々線化完成とそれによる総武快速線横須賀線の直通運転開始以後だった。


そして、その頃位から、千葉県も全体的に通勤通学需要が急激に伸びて(特に東京よりの地域は。その他の地域も全体的に)日中は普通電車が一時間に1.2本程度だった房総ローカルの途中駅でも1980年代後半〜2000年代前半までに急激に本数が増えて現行ダイヤの原型になっている
参考:「7-Prefecture」内特集「時刻表で見る土気駅の変遷」よりこちら


現場からお客様の要望需要をフレキシブルに吸い上げられるシステムがあれば、まだよかったのだろうけど安全面を除く法の縛りが今日と比べると公務員ゆえに、特に営業面に於いて厳しかった、と言うのが国鉄関連の悲劇の一つだろう。