労働を通じた「教育」と「矯正」 −フーコー『狂気の歴史』より(草食系院生ブログ記事より)

人を人として見ず、ただ「労働力」という資源として見るのはうちの会社の現状も同じ。


根本には、うちの会社にくる新人の半分が社会人として"使い物にならない"人ばかりがくるとはいえ、そういう人でも使い物になるように、そして、営業ノルマを達成させる為の手駒として使い物にならなければならない、といううちの会社の経営陣の非情な考えがある。
まさにこの記事に書かれていることと同じなのだ。