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グリーンカード」を辿ってみて行っているのであるがアメリカを始め外国って、言葉が出来ない事等の無知が「言い訳」や「免罪符」にならない厳しい世界だなあ〜、素直にそう思った。

本当の意味での自己責任がここにはある。但し、知ってしまえば日本と理不尽な制約等が少なさそうに見えるのも外国の良い所?(そんな訳ねえな。後述するがフィリピンなんて、外国人が資本を一定以上は持てないらしいし)。


話は変わるが私の同僚で且つ先輩が44歳にして職場をこの3月で辞める事になった。
職場のリストラの一環としての締め付け策に不満を覚え、付いていけなくなったのがその理由である
(俺ですら仕事でくたびれているのにその上篩い落としのための「接遇マナー」の勉強をしなければならないなんて。本当に任意だったら、何で皆が受けない動きをしただけで上司があんなに恫喝したりして半ば強制的に皆を受験させるような真似をしたのだろう。カク言う私もそれに巻き込まれた1人であるが)。

彼は辞めた後、しばらく日本にいて残務処理を行い、それからしばらくして半年日本、半年フィリピンに住み、それぞれの国をを往復する生活を始めるようだ
(いずれにしてもフィリピンの永住権は取れないみたいなので。逆に先輩の奥さんは日本に来て結婚生活を送るのにビザを毎年更新している状態になっている)。

ちなみに先輩はフィリピン人の奥さんと結婚していてその過程で向こうの風習も学び、更にその前(何と7.8年程前)からこの計画を練ってきたみたいだ。海外で定年後のリタイア生活を年金で送ろうと言う人達の情報交換サークルにも入って現在も更に情報を集めている、が私の想像以上に準備は進めているようだ。

但し、向こうで何か事業をやろうとしているようだが彼はお金は出して表には顔を出さない。何故かと言うとフィリピンの法律では外国人が会社の資本を一定以上は持てない、と言う制限があるらしいのがその理由だ。まあ、事業をやるといっても町の一角にある雑貨屋さんを開店する位の程度だがそれでも大変なのだ。

でも、本当に先輩には今の職場を辞めても元気でいてほしいと切に思う(本当は辞めないでいてほしかったのが本音。組合活動も彼が辞めるとかなりの大打撃になるのは明らかだから。特に管理者と直接交渉する年末繁忙交渉などは)。正直先輩がいなかったら、前の営業所で追放同然に”放逐”されて右も左も分からなかった私はここまで来る事が出来なかった。

本当に感謝しています。そして、この3年間、本当にありがとうございました、先輩。
(変な意味じゃないから)