声優オタクの目指すべき方向・序章(自分を振り返って1)

確かに段々引きこもっているのが辛くなってきてしまっていたのは確かだった。昨日はコンサートの内容が良かったのでそうでもなかったが声優のイベント行っていて何か満たされたような感覚が起き辛くなってなってきていたのだ。
何か大仰なタイトルになってしまったがそれはこれとも無縁ではないだろう(架空の杜さん「三十路過ぎてのアニメは程々に・・・」より)。正直、考えさせられてしまった。正に当てはまっている所が多すぎるのだ。そして、ある1つの慶事を見て思った事があった。

その事を語る前に少し私自身の事を語らなくてはいけないと思う。痛い人の痛い与太話だが聞き流してくれ。


比較的アニメは昔から好きだったが私自身は学生→就職氷河期に就職に失敗して5年間程就職浪人をし、更に苦労して入った職場でも自分の入りたかった部署には入れず、基本給が他部署と比べて低いのに私から見て理不尽な営業ノルマ(達成するには所謂コンプライアンス違反をしなければ出来ない目標である)だけ追及され、パワハラをうけて辞めさせられそうになってもがいたりとかで大変だった。

そんな中、少しさかのぼるがアニメ自体は中学生位の頃まではTV自体をリアルタイムで見る→高校生位の頃は兄がレンタルでビデオを借りてそれを見る→大学生の時、一時期LDを所有してそのLDのソフトを見る→あのエヴァが過ぎ、LDが廃れ、セラムンとかの時代でなくなった就職浪人の頃はU局やTXのアニメをビデオ録画して見る、と言う風に視聴していた(現在はパソコンにTVキャプチャーが付いていて、それをDVDレコでバックアップしている環境。それとは別に地デジチューナーをパソコンのPV3に繋いでいる)。

そんな時に某アニメの延長で今で言う所のアイドル声優なるもの(所謂セーラームーンの声優5人)に出会ってしまったから大変、声グラなどを買うとかして興味を持ち始めた(はるか昔、93年頃にに千葉そごうでやっていた三石琴乃さんの某サイン会に私は参加した事がある。サイン自体は不幸にも現存していないが)。

そして、時代はプレステの時代となり、需要が爆発的に増えた声優界には雨後の竹の子の様に各声優事務所から女性声優が出現した(丹下桜が表舞台に出てきたのもその頃)。私の興味もますます増したが当時は今から見てそれほどのめり込みはしなかった。それは自由に使えるお金もバイトの身分でそれ程なく、仕事だけだと思っていたので往復葉書抽選系の招待イベントにも参加せず、もっぱら東京ゲームショウのようなイベントでだけ声優さんいいなあ〜、と憧れに似た妄想をして彼女達を見ていたからである(でも、97年8月の火星物語トゥルーラブストーリーの合同イベントと98年3月の東京ゲームショウ丹下桜出演イベントは"親を質に入れてでも"見に行きたかったなあ〜。と今でも思う)。

だが、それに転機が訪れたのが山本麻里安たんとの"出会い"である。98年位はさほど興味の対象にならなかったのだが99年に偶々あるイベント(東京ゲームショウ17歳教祖との某ラジオの公開録音だったかな)を見に行った時に正に「一目惚れ」と言う感じで彼女にやられてしまった。それから、引きこもりに近い立場ではなく、イベントとかに行くようになった。

数年経ってバイトの給料が上がり、そしてiモード携帯電話を持てるようになったのもそれに拍車を掛けた。家の電話からだと例え友人でも連絡が取りづらかったからなのだ(特にイベント会場で知り合った人とは)。当然コンサートのチケットとかもそれから始めて取るようになった。山本麻里安たんと言うか、アイドル声優をなるべく近くでを見たいが為に自分の環境を無理矢理にでも変えていったのだ。ネットをやり始めたのもその頃である。もっともその頃は自宅にインターネットの接続環境がなく、可処分所得的に貧乏な中でネットカフェで接続していたので時間的に遅くまで居られず、インターネットラジオの生放送などはどうしようもなかった。

そうして、初のコンサートである丹下桜の実質引退コンサート(当時:渋谷公会堂)に行って来た。一番後ろからで殆ど本人の姿は見えなかったが生声を聞いて感動した事を覚えている。

そうして丹下桜たんが"表舞台"から引退してからは山本麻里安たんにのめり込んでいった。もっとも当時活躍していたイベンターのレベルからすれば全然常連でも何でもなかったが今までと比べて大きな進歩だった。アニメも久しぶりに借りてきては良く見ていた(頭文字D、センチメンタルジャーニー、カードキャプターさくらシリーズなど。ちなみにこの時期のTVアニメではエクセル・サーガ無限のリヴァイアスラブひなハンドメイド・メイとかが印象に強く残っている)。

多分、2000年〜2003年ぐらいまでは山本麻里安たんにのめり込んでいただろう。声優界で一時バスツアーを流行させるきっかけとなった山本麻里安たんのクリスマスバスツアーなんかに参加してよりその方向性を強くしていった。その時に色々と私の声優オタクの基礎を作った人達と知り合った、あるいは見知った(もっとも、後述するがその後、方向性の違いからその殆どと袂を分かってしまい、現在まで付き合っている人は存在しない)。私のヲタク知識はその時の経験が元になっている。

2001年は念願のブロードバンド環境が家の近所まで来たのを機にパソコンを購入、ネット環境を整備して某インターネットラジオの生放送にものめり込むようになった。実はその時にはやっとの事で某会社に入っていたがそこでパワハラを受けていた時だった。当然、"逃げ道"を無意識の内にそこに求めるようになった。深夜までチャットや実況に入り込んでいた事もあった。後は環境が良くなればイベントにお金を注ぎ込んでいるのはともかくとして、「"幸せ"になれるはず」だった。メモオフファーストコンサートに参加した時ぐらいまではそう思い込んでいた。
だが、そこに1つの事件が起こった。